真夜中の一人反省会
昨夜は夜中に目が開いてしまい、一人でキッチンセミナー防災の反省を朝までしていました。なかなか難しいセミナーの内容でもありますし、学んで頂けるお客様にキチンと伝える事ができただろうか?また、学んだ内容を実践して頂けるだろうか?十分満足がして頂ける対応が出来ただろうか?等々、真剣にご参加の皆様、一人一人の思いを想像しながら全てのお客様の反応を思い出しながら・・・大反省会をして朝を迎えました。・・・ふー・・・そして日課の読書を3時間オーバー・・・
ふと・・・思うと・・私は何故にこんなに過酷な人生の選択をしているのだろうか?と我ながら不思議に思う事があります。お陰様で私は経済的には働く必要など全くないのに・・・なぜに?他者の問題解決を自ら引き受けて自分の余生を過酷にしてしまっているのだろうか?・・・大きな、大きな、ため息が出る事があります。
78年前に白洲次郎が選択したように・・・傍観者(高みの見物)・・・を決め込む事も出来ます。たぶん、白洲次郎と同様に、この傍観者を選ぶ事が私にとって一番正解な選択だという事も判ります。なのに・・・正しい選択をためらう私が居るのです。
論語 陽貨の中に有る
”女子と小人しようじんとは養やしない難がたし”
女子と器量の小さい者とは節度をわきまえず、近づければなれなれしく、遠ざければ怨みを抱くので扱いにくい・・・と云う意味の様である。
しかし、如何なる古典もその時代背景を考えた上で理解しないと誤る事が殆どである。この女子とは?今の女性とは全く異質の女性である。つまり、大昔は女性は・・・教育もさせてもらえずただ家庭で子を成す目的としての男性の所有物?としての存在で有ることが殆どであった・・・その意味の社会を知らず教育の無き本能のままに生きる性別女性である人・・・と解釈するのが正しいと私は推測する。
小人(しょうにん)とはまさに器の狭いこすっからしい人間と云う意味
今思うと・・・この日本では教育が壊れてしまっているので昨日の某大学の教育学の教授がテレビで嘆いて居ました。今の若者は大卒でも約3分の1の人が問題の意味すら理解できないほどの読解力が著しく低下していて、思考もはなはだチープであると嘆いて居ました。
その原因は・・・はたして未熟な若者だけの責任であるのだろうか?
私は一番の原因は・・・教育行政を司る文部科学省の官僚の連中にあると思っています。そしてその司のトップ・・・政治屋どもの劣化にあると思っています。
原理原則
自然界に平等などと云う概念はかけらもありません。生きるか死ぬか・・・その二つしか無いのです。平等などと云う妄想を持ち出して怠惰をむさぼるものが大きな顔をして社会で幅を効かす世の中など・・・永続するハズもありません。
この一見貴方には非常識な発言を・・・真に理解しないと・・・真なる学び・・・など得ようも無いのです。
大自然の中のほんの一部が・・・人類なのです。
まさにイナゴ(下等生物)の大繁殖の様な人間社会・・・大自然の摂理により適正数に淘汰されるのも当然の近未来です。
まさに・・・賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ・・・です。