完璧を求めて生きる!
ストイックな小生は・・・何時も完璧を求めてしまいます、しかし、この完璧を求める事と、完璧な決断をする事とは・・・少しばかりニュアンスが異なるような気がします。
小生も欠点だらけ、お世辞にも完璧な人間とはいえません。むしろかなりトゲトゲの有る偏屈的な価値感で生きて居る人間かも知れません。
温厚でもないし、丸くもないし、八方美人でも有りません。・・・かなりクセの強い人間と自己判断をしています。
良く言えば芸術化?肌の人間・・・悪く言えば鼻つまみ者!!!
時々・・・普通の人にはどうでも良いこと、些細な事、にこだわりすぎて・・・考えすぎて、・・・我慢ならなくて・・気になって、気になって・・・さらに深く考えすぎて・・・一晩眠られ無い事もまま有ります。
昨夜も・・・午前1時半に目覚め・・・考え始めたら朝まで眠られませんでした。
朝4時半(薄明るくなる頃)に起き上がり午前7時まで・・・恒例の朝のウォーキング&筋トレに3キロ先の公園まで超早足、競歩で出かけました。自分自身をそれこそストイックに攻め込み、筋肉が悲鳴を上げ汗びたびた・・・体中から汗がしたたり落ち塩飴がとても甘く美味しく感じました。
ヘロヘロになると・・・あんなに一晩中考え込んでいた問題が・・・すぅ〜〜〜っと灼熱地獄に氷が溶けるように融解しました(笑)
不完全な自分自身を自覚し完璧を求めるアンバランスを理解し出来る事と出来ない事の正確な判別が出来ると・・・最適の最高のバランスの判断が可能に成ります。
この判断、結論は・・・決して当初求めて居た”完璧”では有りません。
私は安易な妥協は是としませんが・・・考え抜いたバランス感覚を大事にした結論(或る意味の妥協)は是とします。それは・・・時・・・の存在を大事にしたいからです。有限の時が一番輝く瞬間に最善の決断をする事が・・・自分以外の自分自身ではどうにもならない他者とバランスを取り最善に生きる事の本質の様な気がします。
人生は決断の連続です。零細企業と言えども組織の長は、決断の連続なんです。全ての決断に最善をトコトン求めすぎると・・・前に進めません。時が自分自身を置いてきぼりにしてしまいます。
そうすると・・・時の利益・・・を失います。時の利益に見放されると・・・もう人生をかけても完璧など一つも手に入れることは出来ません。完璧どころか・・・ろくでもない人生しか視界には存在しなくなります。
そして・・・多くの理想主義者、永遠の完璧主義者は・・・ステイ・・・するしか道が無くなります。
人生の浪費です。
完璧をトコトン求めて・・・天文学的数字分の1の確率に・・・人生をかけるか???悶々とした長い時を耐え続けるか???
完璧を求めつつ日々学び・・・最善のバランス感覚で決断し・・・人生そのものを結果的に最善(輝かせる)に導くか???
二者択一・・・どのように生きるも貴方の自由
禅宗のお経『修証義』(しゅしょうぎ)・・・道元の教え・・・抜粋 第五章(行持報恩)
光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、
月日の過ぎゆくはまことに速やかであり、それは矢よりも早い。
身命は露よりも脆(もろ)し
この月日の流れの中に生きていく私共のいのちは草の葉にやどる露よりもはかない。
何れの善巧(ぜんぎょう)方便ありてか過ぎにし一日を復び環(かえ)し得たる、
どのようなよき手だてを用いて見ても、過ぎ去りし日を呼びもどすことは出来ぬ。
徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月(じつげつ)なり、
かくて意味もなく百年の年月を生きても、それは只はかなき生のいとなみのみというべく、無駄な年月であり、
悲むべき形骸(けいがい)なり、
つまらぬ形骸(むくろ)というべきである。
設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢(ぬび)と馳走すとも、
されど、そのように物の世界の中を走りまわったような百歳であっても、
其(その)中一日の行持を行取(ぎょうしゅ)せば一生の百歳を行取するのみに非ず、
その中で一日でも、真実の道理に従った生活ができたならば、その一日の行持の功徳は、あまねく一生の全体を蓋うだけでなく、
百歳の佗生(たしょう)をも度取すべきなり、
更に又そのようなすばらしい百年のいのちをもう一度過ごしたのと同じ徳があることになる。
此(この)一日の身命は尊ぶべき身命なり、
この一日のいのちは尊ぶべきいのちであり、
尊ぶべき形骸なり、
尊ぶべき身体である。
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さて、さて、如何に生くべきか?如何に住むべきか??如何に?決断すべきか???
貴方は完璧な人間ですか???貴方の求めるモノは・・・貴方の完璧度に合致して居ますか???
時は有限なり・・・時は早足(光陰)なり