考えてよ、もう少し深く
自由主義社会が目指す方向として規制緩和と云う名の元に弱肉強食の世の中に益々なろうとしています。浅知恵の私が申し上げる迄もなくただでさえ富の所在の偏在や富の配分の一極化が進む現在、アメリカでは2割の国民が8割の富を有するとも5%の特権階級が60%の富を有するとも云われています。、私がアメリカの西海岸を1人旅した8年前でも富める人だけの町が出来つつ有りました。現在アメリカではこれがさらに進み300万坪程度から500万坪程度のヨウヘキに囲まれた一般人は入れない富める人のみの町があちこちに出来て話題となっています。この日本でも或る有力経済新聞では1%の国民が個人金融資産の50%を持っていると言う推計が有ります。人間が損や得を生き方の主たる行動原因とする限りインターネットを始めとする競争社会の革新技術や手法や教育はこの偏在をさらに加速する劇薬となり得るのです。当然、はじかれた人々は生きていくために手段を選ぶ事はしません、治安の悪化、モラルの欠如、社会の崩壊等々・・・悲しいことに昨今の世情をみれば、すでにその芽は大きく育ちつつ有ります。ここで問われて居るのは生身の人間としての感性や調和を生かすべく知恵を出せるかどうか?と云う神様が人類に与えた試練とも考える事が出来ます。残念ながら日本国民の多くはその国民性や教育の偏りにより真の意味の思考が出来ません、例えて云うならば今、日本の若者の頭は全てと云っていいほど茶色です。つまり自己の自己たる哲学が無いと推定できます。深い思考とその思考に伴う行動が出来ない、これは若者だけでなく全ての日本人に大なり小なり当てはまる欠陥と思います。歴史に学ぶ迄もなく我々が進もうとしている富の偏在社会は結果として階級社会を生み人間の格付けに始まり、人間の人間による所有が始まります。はじかれた人々で犯罪を犯すことが出来ない人は富める者の為に働きその生きる糧を得るしか方法が有りません。その富める者の為に働く最たる理由にはしもべとして仕えるか富める人を反骨の弱者から守る軍なのです。人類も私の庭に咲く朝顔も一緒なのです。綺麗な花と綺麗な花を交配させれば綺麗な花が咲く確率はグンと上がります。強い者と強い者が交配すればさらに強い者が生まれます。人、個の特性上も優れた者とそうでない者が生まれる土壌が醸成されます。18才の私の息子でさえこの事に気付いています。政治家の息子は何代にも渡り政治家であり資産家の息子は仕事をしなくても資産家です。町工場や職人の息子は仕事さえありつける保証がない現実が今、すでに有るのです。これを貴族社会と云わなくて何と云うのでしょうか?もちろん、生物に突然変異が有るようにこれらの例外も有ることは当然ですがこれら例外は何時の時代も有ることです。形や呼び名や支配形態は違うかも知れませんが実質的には15世紀の封建社会の再来、21世紀型の封建社会の始まりかも知れません。教育の崩壊の恐ろしさは此処に有るのです。富める者の富める者のみに対する教育は崩壊はしていないのです。なぜなら今現在でも富める者は自らの哲学と資金で自らの子孫には先鋭的な教育をして居るのです。富める者はそ
れに飽きたらず弱者を支配するための教育にも食指をのばして現実に教育分野にスティルスの様に深く侵攻しつつ有ります。価値観を己の損得のみに有するのでは無く為政者の1人として他人の悲しみを自分のモノと感じ我々の所属する社会全体、宇宙全体に気を配り思考し判断し正しく行動する事の重要性が今問われていると思います。