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大人気のリーダーが出る時は、その後ヤバイ時代に例外無くなった。

危機の時代に「カリスマ的救済者」の出現が持つ歴史的意味/総選挙での自民党圧勝と再魔術化する世界

1938年、ドイツ国内の工場で働く見習工たちと話すアドルフ・ヒトラー。ヒトラーのようなカリスマを帯びた指導者たちが登場しつつある

時代はいつも奇妙な終わり方をする。何の前触れもなく、突然終わるのだ。1945年以降の平和憲法下の日本が、いよいよ終わるのかもしれない。2月8日に行われた総選挙での自民党圧勝によって憲法改正の話がいよいよ現実的なものとなってくるのかもしれない。

しかし、「高市早苗旋風」は奇妙なねじれ現象でもある。経済や政治において、世界が日本の政治の不安定さを指摘する中、その不安定さがかえって高市人気を支えるというねじれである。その意味で人気を支える確かな実体があるわけではないのだ。

■実体をともなわない一種の魔術

しかしこうしたねじれは、社会が変容するときしばしば起こる現象でもある。法と秩序という理性でことが運ぶとき、狂信的ともいうべき個人崇拝は起こらない。こうした崇拝は一種の魔術であり、人々は容易にそうした魔術に影響を受けることはないからだ。高市人気が一種の魔術で、危険な時代の始まりだと決めつける気はないが、確かな実体をともなわない願望だけを表現している点についていえば、非常に気になる。

ヒトラーが出現したときのあの熱狂ぶりは、ある意味時代の変化を意味していた。『君はヒトラーを見たか――同時代人の証言としてのヒトラー体験』(到津十三男訳、サイマル出版会、1973年)という書物がある。ヒトラーの時代を生きた人々に直接行ったインタビューがもとになっている書物だ。

このインタビューの中の多くの人々は、ヒトラーという人物に一種の救世主、カリスマ的魔術を見たと言っているのだ。その中の一人はこう述べている。

「しかも、暗示の天分がありました。彼と話した二〇人のうち、一八人までが彼に魅せられました。彼はくだらないことをしゃべったに過ぎないのだが。病的なことです」

もちろん、冷めた目で見た者も多くいたのだが、多くは彼に吸い寄せられていったのである。その理由は、当時のドイツ社会の不安にあった。

ドイツは第1次世界大戦の敗北後、ドイツ帝国に代わってワイマール共和制を設立する。この体制は大統領と議会によるきわめて民主的な体制であった。それは法と秩序によるきわめて理性的な世界の実現を目標としていた。

■民主的だったワイマール共和制の崩壊

しかしこの体制は「船頭多くして」のたとえ通り、乱立する少数政党が対立し、不安定さをさらけ出す。しかも戦後の超インフレと莫大な賠償金、そしてドイツの誇る工業地区ルールのフランスへの割譲によって、経済的生活はどん底に落ちていく。しかも1929年の世界大恐慌というさらなる追い打ちによって、人々の不満は爆発していく。

現実に絶望した人々は、ヒトラーの姿に救世主の出現の夢を見た。ある女性は、興奮のあまり、こう述べたという。

「ある夫人がヒトラーと握手をしたので、数日間、手を洗わなかったということだけです」 1960年代に「ビートルズ旋風」というものが若者の心を捉えた。世界中を熱狂させたのだ。1964年の東京オリンピックが終わった直後、「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!」という映画を見にいったことがある。映画館の中で興奮のあまりスクリーンに向かって泣き叫んでいる少女たちを見たのだ。なんと、映画に向かって熱狂していたのである。

あのヒステリックな興奮は、すべてをアイドルに捧げることで、心を癒やす一種の恍惚(こうこつ)感であったのかもしれない。もちろん、こうしたアイドル現象に、ヒトラーの独裁体制のような危険性はない。

人間は、理性と狂気の間を行きつ戻りつ生きている。18世紀の西欧の思想家たちは、啓蒙主義という理性信仰を作り上げたが、神話や伝統は容易に失せるものではなかった。とりわけその反動が、19世紀のロマン主義であったと、ナチス時代の思想家カール・シュミット(1888〜1985年)は述べている。

ナポレオン戦争で疲弊した後に広まった西欧のロマン主義は、良き日を懐かしむノスタルジーの中で、廃墟と化した世界から目をそらす願望となったのかもしれない。

理性的、科学的世界が世界を覆うにつれて、人々は逆に不可解なものにすがるようになる。19世紀に登場した白人の優越を信じる人種理論や、骨相学などは今では科学としては扱われないが、これらの似非(えせ)科学は、世界が拡がるにつれて不安になってきた西欧人にとっての、救世主となる願望だったのかもしれない。

人間が動物である以上、神のように理性的になることはできない。心の中に理性と非理性が併存しているのである。健康なときには理性が支配するが、不健康になってくると非理性が頭をもたげてくる。

これを社会に例えれば、衣食住が充足する健康状態のときは「法と秩序」という理性が支配するのだが、いったんそれが崩壊すれば、たちまち非理性が頭をもたげてくるということなのである。まさに今の日本人の約7割が生活苦を訴える状況が非理性的集団行動を起こすのだろう。88%の経済学者が反対する政策を推し進める政党が圧倒的に勝利をした事実と重なる。

■「神話の時期」の到来

ナチスに迎合していく人々の論理を分析したドイツの哲学者エルンスト・カッシーラー(1874〜1945年)は、この不可解なヒトラーとナチスの出現について、『国家の神話』という作品の中で次のように述べている。 

「ヴァイマール共和国の指導者たちは、外交的折衝とか立法的措置によって、これらの問題に対処しようと全力をつくしたが、彼らの努力はすべてむなしいように見えた。インフレーションと失業の時期に、ドイツの社会的・経済的制度全体が完全に崩壊に瀕し、正規の手段は尽きてしまったように思われた。こうした状況こそ、政治的神話が生育し、そこに豊かな養分を見出しえた本来の土壌であった。(……)

人間が危険な状況に直面しなければならないとき神話はその全き支配力を持つにいたるのである(……)絶望的な状況においては、人間はつねに絶望的手段に訴えるのである(……)人間の社会生活が危機に陥る瞬間には、つねに古い神話的観念の発生に抵抗する理性的な力は、もはや自己自らを信用できない。

このような時点において、神話の時期が到来する。なぜなら、神話は実際に征服され、隷属させられていないからであろう。神話は暗黒の中にひそみ、その時期と機会を待ちながら、つねに存在している。この時期には人間の社会生活のほかの拘束力があれこれの理由でその力を失う」(エルンスト・カッシーラー『国家の神話』宮田光雄訳、講談社学術文庫、2018年、476〜480ページ)

確かに、1920年代のドイツは特殊な状況にあったといえる。こうした状況がなければ、ヒトラーのナチス体制があのように政治権力を握ることはなかったかもしれない。

しかし、これに似た危機はいくらでもあった。もっともすべての社会が魔術化した神話の世界に屈したわけではなかった。それに対して打ち勝った社会や人々は、しっかりとした理性を堅持しえるものを持っていたということなのだ。

現在、世界は危機の時代である。だからこそ、この危機によって、再びナチス体制のような魔術が復活するのではないかと人々は不安におののいている。とりわけ深いトラウマに苛(さいな)まれているドイツでは、昔の記憶が頭をもたげるのだ。

ナチス関連法のあるドイツで、あからさまなナチ体制の出現はありえないだろうが、「過ぎ去ろうとしない過去」(ナチ論争を惹起した歴史家のエルンスト・ノルテ〈1923〜2016年〉の言葉)は、つねに頭をもたげてくる。それがここ10年におけるAfD(ドイツのための選択肢)の躍進であった。現在ではドイツ国会で第2の議席をもつ政党である。

■ドイツAfD躍進の背景

その理由は、2015年に顕著になった大量の移民流入が、ドイツを含む欧州全土に反移民主義を植え付け、外国人排斥運動へとつながっていったことである。

しかもコロナそしてウクライナ戦争によるドイツ経済の失速によって、旧来の政党であるドイツ社会民主党(SPD)や、同盟90/緑の党、ドイツキリスト教民主同盟(CDU)などから、AfDへと乗り換える人々が増大した。もちろん政権を獲得するには至っていないが、不満の声は新しい右翼政党への関心を呼び覚ましている。

そこにはヒトラーのようなカリスマ的救世主はいない。AfDそのものも、ナチスのような体制を目指しているとは思えない。しかし、人々の経済的不安定が、ますます新しい政党とカリスマを期待する条件をつくりだしていることは間違いない。

しかしこの場合、問題はドイツ国内だけの問題にとどまらない。アメリカのトランプ政権や、イタリアのメローニ政権、ハンガリーのオルバン政権、そして日本の高市政権などの一種のカリスマ的性格をもった人物による、旧来の法と秩序を崩壊させる可能性をもった政権の登場である。

確かに1国において民主的政権を死守しようと努力しても、外圧によって大きな影響を蒙ることがある。ワイマール体制の崩壊もある意味外圧によってもたらされた部分が大きかったからである。

ドイツの歴史家ホルスト・メーラー(1943年〜)はこう述べている。

「ヨーロッパ諸国の密接な相互依存を鑑みると、ほかのEU加盟国でナショナルポピュリズム的運動、あるいは左翼ポピュリズム的運動がたえず膨張し続けていることは、安定した民主主義諸国にとっても脅威である。隣の民主主義国家が危機にさらされることになれば、あるいは完全に崩壊することになれば、「至福者の島」(楽園)をたもつことなどほとんど不可能なのだ」『ナチズムは再来するのか?』(板橋拓己、小野寺拓也監訳、慶應義塾大学出版会、2019年、31ページ)

■「恐怖の男」の登場

とりわけ民主主義の象徴ともいえるアメリカが、トランプ政権によって大きな危機を迎えていることは、世界の人々に民主社会の危機を増大させている。そして、類は友を呼ぶがごとく、日本国の借金を350兆円も積み増して円安にして円の価値を4割下げたダケのアベノミクスの安倍晋三やそれと価値観を同じくする高市首相と同じ価値観のトランプ氏は相性が良いのだろう。

「恐怖の男」(ジャーナリストであるボブ・ウッドワードの言葉)といわれる危険な人物、トランプ氏が、大統領選挙という直接国民に訴える場で勝利したこと、そしてこの人物が議会や国際法を乗り越え、暴走体制に入ったことは、今世界にとって脅威である。

カリスマ的救済者を望む声がワイマール体制を崩壊させたように、アメリカ民主主義、そして世界の民主主義を崩壊させる可能性はある。日本における高市人気も、トランプ人気と似たところがある。政治、経済、外交などでの不満のいらだちを独裁者的権力者の出現に期待する声がヒトラーを呼び出したように、世界をこうした権力者の時代にする可能性はある。

近代社会が魔術を乗り越える脱魔術化の時代であったとすれば、21世紀の今、われわれは再度魔術の時代に引き戻され再魔術化の時代に入ったとも言えるのかもしれない。願わくば、こうした傾向が一時の悪夢にすぎないものであってほしいものだ。

「いずれ高市政権は行き詰まるかもしれないが、それはリベラルの復活ではなく、社会的・経済的混乱によって引き起こされる!」と多くの識者が発言をしている。

そして、環境が全てを定義する原理原則通りに今の世界の環境や日本の環境は1930年代の環境にすこぶる似ていると心配をしている。歴史は韻を踏んで繰り返すの歴史上あまた繰り返された事実の様に1930年から1945年の時代を繰り返す事になるのだろう。

とてつもなく心配である。日本人が論理的思考を取り戻し、人間としての共感力等の感性を取り戻し、気付きを得る事を切に願う。ふぅ〜〜〜ため息

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https://youtu.be/YwXMILSGmkE