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土壌が腐る⇒根が腐る⇒何をしても無理

A. 「走り続けるはずだったランナーが、疲弊して知らぬ間に歩き始めていた」

1995年――インターネット元年とも言われた年、そのとき日本の名目GDPは約 5兆5460億ドル。2023年には約 4兆2130億ドルと、ドル換算では 28年で▼-24%も落ち込んでいた。

一方、同じ“ものづくり国家”だった ドイツ は1995年の約 2兆5950億ドルから、2023年には約 4兆5270億ドルへ。28年で+74.4%という、まるで違うコースを走っていた。

つまり、かつてドイツ経済は日本の「半分以下」だったにもかかわらず、気づけば追い抜かれ、差をつけられている。おまけに2023年、人口はドイツの方が少ないのに、名目GDPではドイツが日本を上回り、ついに日本は世界ランキングで4位へ転落。

見方によっては、「日本は走る靴を脱ぎ捨てて、スリッパで散歩を始めていた」。そんな皮肉すら浮かんでくる。

B. 「見せかけ黒字」に浮かぶ“空洞化ジャパン”

「輸出大国」「技術大国」「勤勉な国民」――かつて世界が称賛した“日本モデル”は、静かにだが確実に崩れていた。多くのエビデンスデータを見れば、その確実性がいっそう鮮明になる。

輸出の伸び率で比べれば、ドイツは1995〜2023年で輸出額を 3.25倍 に増やしたのに対し、日本は 1.62倍。国のサイズは日本の方が大きくても、輸出力では遠く及ばない。

2023年の貿易総額(輸出+輸入)で見ても、ドイツは約 3兆1700億ドル、同時点の日本は約 1兆5030億ドル ——およそ ドイツの2.1倍前後。ドイツの方が輸出入を含めた貿易の規模で圧倒。

名目GDPに占める輸出比率も、日本は約17%にすぎないのに対し、ドイツは約38%。つまり、ドイツは「貿易で稼ぐ国」だ。

この差の根底には、昭和の日米貿易摩擦を起因として“海外で作って、海外で売る、日本企業の海外重視”という構造的な選択がある。1990年代以降、日本企業、とくに自動車や電機といった国際競争力ある産業は、生産拠点をこぞって海外へ移した。結果として、「国内でのモノづくり」「国内での雇用」「国内での消費」が縮み、国内の経済循環が停滞。

その一方で、海外で稼いだ利益は、配当や内部留保として企業・一部の富裕層に偏り、さらに “円安” のおかげでドルに換算したときの GDP が落ち込む――でも、表面上は「経常収支黒字だ」「なんとかかんとか利益が出てる」という“見せかけの安心感”。しかも海外で稼いだお金は海外に投資され、日本人の経済の活性化⇒富の増加には寄与しない!

要するに、日本は「国内マネーの血流」を止め、日本人皆を貧血症+低体温症にしてしまった。自らを“空洞国家”に変えてしまった。その痛みや不調を誤魔化す為にモルヒネ的莫大な借金だけ積み上げた。それなのに、「黒字」や「経常収支」といった言葉でごまかして、問題の本質をずっと見えにくくしてきた。

まるで、ガンで内臓がズタズタなのに、治療をせずに痛み止めを打ち続け、体表に包帯ダケを巻いて「大丈夫!元気です!」と笑ってるようなものだ。

C. 「いくら働いても増えない給料」〜国民の生気を吸い取る仕組み

多くのエビデンスデータでも明らかなように、この数十年、日本の賃金はほとんど上がっていない。27年間で日本の賃金が「ほとんど変わらなかった一方」、ドイツは約 +19.4%、そして アメリカ合衆国 は約 +45.6%もの伸び。つまり、他国が給料という報酬をちゃんと「努力に応えて」上げていたのに、日本では「働き続けても芋(芋ねえちゃん、芋兄ちゃん・成長しない人)のまま」の人が山ほどいたということ。

この現実のもとで、「もっとがんばれ」「成果を出せ」なんて、まるで 砂漠での水やり。根腐れしないか、心配になる。たとえGDPなるものが “黒字” だったとしても、現実の生活にはほとんど反映されない。労働者は、必死で走っても、結果は「円安で相対的に貧しくなる」。

そして、この構造を支えたのが、「海外投資」「内部留保」「株主還元」の拡大――国内での給料、国内での再投資、国内での雇用、すべてが置き去り。日本は、企業も国民も“長いおあずけ”をくらい続けた。

この国の政策・経営の意思決定が、「いかに国民に利益を回さず、お金をうまく回すか」に偏りすぎていた。まるで、「家の貯金通帳は真っ黒。でも冷蔵庫の中身は空っぽ」な家族のようだ。

D. 「悪慣れ」と「問題先送り」が生む、麻痺した社会

では、なぜこんな状況が30年も続いたのか。ここが、このエッセイで一番 “胸の痛むところ” だ。

@ “円安で輸出企業が儲かればそれでいい”という短絡
  輸出・海外利益重視、円安万歳 ―― その構図に加担することで、「いま儲かればいい」というスローガンが社会の常識になった。国内のこと? 雇用や賃金? そんなの二の次。数字が黒ならヨシ。

A “見える黒字”に安心して、根本に手をつけない”
  貿易収支の赤字でも、経常収支の黒字――そんな見せかけの数字のマジックに踊らされ、国民は「まだマシ」と思い込み、政治もマスコミもそのままスルー。文句言っても、次の選挙でまた同じ人や政党をリーダーに選ぶ。

B 「次世代への犠牲は仕方ない」という諦め
  「今の儲けを抜きたい」「株主還元や内部留保を増やしたい」――そのために、将来を支える人材育成や国内設備投資には目をそらす。結果、「国内で働く若い世代」はどんどん貧しく、やる気も下がる。

こうして、「悪慣れ」が社会の基調になった。一度でも「これでいいや」と思い込むと、麻痺してしまう。痛みにさえ気づかなくなる。

若者は給料の伸びない将来に絶望し、中高年は「老後の貯金も大事だ」と言って消極的。政治への無関心、からポピュリズム政党に傾倒、自分たちの利益を守るための賢さ――それがいつの間にか、「痛みに耐える忍耐」にすり替わった。

それはまるで、「体がガンで不調でも、風邪くらいならと誤魔化し我慢するよね」と言って、ガン等の重篤な慢性疾患を放置し続ける人間みたいだ。

E. なぜ「放置」こそが最も危険なのか

今、日本は “悪化” しているわけではない――“放置”されているのだ。未来のための投資もせず、国内での暮らしを豊かにする仕組みも整えず、ただ海外で儲ける“逃げ道”に頼り続けてきた。

放置されたまま、円安は進み、ドル換算でのGDPはしぼみ、国の経済力は徐々に削られていった。見かけ上は「なんとか黒字」、でも国民の暮らしは冷え込み、賃金は上がらず、「ものづくりの誇り」は色褪せた。

そして危ないのは、この「見えない病」が慢性化したこと。誰も「あれ、おかしいよね?」と声をあげず、「ま、こんなものか」と諦め、「次もあのリーダーでいいや」と投票し続ける――そんな無関心と麻痺が、最大の毒になる。

今こそ、「見せかけの黒字」に満足せず、「国内への投資」「働く人への還元」「若い世代の可能性への投資」を本気で取り戻さなければならない。さもないと、日本は “かつての栄光” への回想だけにすがって、未来を棒に振ることになる。

F. 未来?――「日本人だけが妄信している”いいもの”を安く売ってしまう日本人」と云う考えは間違って居る・・現実は「悪かろう、安かろう」である、ナルシズムは、もうやめよう

昔、「安かろう悪かろう」ではなかった ―― かつての日本は、品質と技術で世界に誇る“ものづくり大国”だった。だが、いつしかその誇りは錆びつき、コスト削減と海外逃避の論理に飲み込まれた。

今や、「時代遅れのものを安く売ってしまう日本人」は、時代遅れを温存し国の未来すら安売りしてしまっているように見える。

それでも、「まだ間に合う」と信じたいがそれは無理筋。たとえ遅れていても、「国内で働く人を大切にする」「本気で国を育て直す」――そんな方向に舵を切れば、持続可能な未来は描けるはずだが、今の右翼おばさんを75%が支持する日本人には無理だろう。

日本をド衰退に導いたのは・・まぎれもない自滅民党と、それと癒着する日本の大企業リーダー以外に誰があるのだろうか!!!こんな当たり前の事((悪い人間⇒悪い政策⇒悪い結果(まさに今の日本))すら分からない日本人では無理!

正しく修正するためには、私たち一人ひとりがド衰退の現実を直視し、原理原則を真に理解し、自分たちの暮らしと社会の構造を、冷静に、丁寧に見つめ直す必要がある。

日本のあらゆる産業のド衰退を分析していると、原因は同じだと分かる!それは自滅民党の行う村社会の温存しかない。上級国民が代々の地位を守るべく、強固な既得権の村社会を構築している。日本人は間違った基準を生まれながらに植え付けられ、成長する世界の人々とは真逆の思考回路を持つに至った。

日本は再び「まともな国」になれる・・と、そう、思いたいが!。80年前に310万人、後の調査では376万人が無駄死にし、日本全土が焼け野原になっても・・気付き、変わる事が出来なかった歴史を持つ民族であるが故に・・・期待しない方が良いだろう。

幸運にも”気付けし人”にもし貴方がなれたとしたら・・原理原則を大事に、第一原理思考を中心として真なる学びで、自分を守るしか他に方法は無いのだろうね!きっと!約80〜100年毎に日本人を襲うサイクルのどん底を・・知恵を使い感性を強化して生き抜きましょう。お互いに・・それしかない。