原価の半額以下でも11年間全く!売れないクルマ!
2014年にトヨトミが「水素社会」という響きに夢を託してからもう11年が経つ。だが、現実はどうだろう。「水素燃料電池MIIRAI」は技術的にも販売的にもインフラ的にも全く進歩をしていない、問題は全く解決されていない!!!当然だが水素燃料のMIIRAI(821万 円・補助金145.3万円⇒実売675.7万円)は全く売れても居ない。
現在の水素燃料のMIIRAIの製造原価は推定約 15,800,000 円以上かもね!・・原価の半額でも売れないクルマ!フォードがBEVが全く売れないので1台売ると1台分の赤字になるとの報告からも上記推計はある意味正しいかもね?
万博でもイワタニが水素船と大騒ぎをしていたが・・桟橋には閑古鳥が鳴いていた!
その他にもトヨタとBMW、水素燃料電池車の魅力伝えるイベント!(10/14(火))を日本で開催なんて事をナルシズムでやっている。
そもそも論として水素は輸入しない限り経済合理性は無い!当然の事ですが複雑な水素車や搭載期限の有る高額な水素タンクを有する水素車など経済合理性など全く無い!!!さらに資源の安全保障には全く貢献しない!
国内水素価格例:1,760円/kg〜2,200円/kgで販売されているが・・経済産業省は2030年までに水素価格を334円/kg(30円/N㎥)まで引き下げる目標との事!1/6以下に5年でする、そんな事が出来るのだろうか?
国内の実勢小売水素価格は、輸入想定コストの 2 〜 4 倍程度 になっている可能性があります。さらに最大の問題は、現在のICE車と同等の経済性を発揮する事は不可能の現実!
「車体価格差をそのままにしておく限り、現実的な水素価格ではTCOでICEに並ぶことは難しい」水素が高い(例:1,700 円/kg)場合、燃費が良い300万円の ICE(実燃費15 km/L)と比べると水素車は燃料面で不利になるため、水素車は車両価格を約 277 万円(現在812万円)以下に抑えないと同等になりません!
2025年8月1日時点で全国の水素ステーションは約 152 箇所で1か所あたりの整備コストは、一般に 5〜7億円、今後物価高騰、特に建設コストはさらに増大するのに経済合理性はあるのか?
方や、電気なら日本中どこの家庭にも引いてある。さらに経路充電で必要な急速充電設備も日本に2025年3月末時点の急速充電(CHAdeMO 型等)口数は 12,618 口もある。設置コストは 1基(1口〜2口)設置前提では下記
下限目安:200 〜 300 万円(出力が低め、電源環境が良好な条件)
中位目安:400 〜 800 万円
大規模/高出力条件例:1,000 万円 超もあり得る 水素5億円なら大規模が50カ所設置可能
さらに水素車と違いBEVの進歩は凄い事になっている。蓄電池価格:2014年の代表的なパック価格(およそ$300–$410/kWh) → 2023–24では約$115–$139/kWh(約60〜70%減)。2025年時点ではさらに下がり100/kWhを下回り価格は2014年比で1/3〜1/4へとなりつつある。
性能(エネルギー密度):2014年の代表値(約140–180 Wh/kg) → 2024年の主流(約200–300 Wh/kg)へ上昇。数十%(50〜70%程度)向上している、充電時間もEVの充電速度をガソリン車の給油速度と同等にする「油電同速」で約1/10程度迄短くなっている。耐久性も100万q(12年保証)なんて商品もCATLから発売された!
さらに蓄電池等のリサイクル率は95%を超えている!グリーエネルギーと蓄電池の普及は日本の最大のウィークポイントであるエネルギーの海外依存を減らしエネルギーの自給率を高める為にもっとも効果的な政策なのだが・・日本のリーダーは真逆の事をやっている。
2024年10月、五輪後のパリでは一時的に1500台ものMIIRAIタクシーが走り、五輪後の街を彩った。日本の忖度マスゴミは大騒ぎをして・・水素時代が来る!・・・トヨトミは凄い!凄い!の連呼であった。
https://president.jp/list/author/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%20%E6%98%8E
しかしわずか1年で状況は暗転した。水素供給は安定せず、価格は跳ね上がり、BEVへの移行が加速している。そのフランス・パリの失敗事例があるのになぜ?2025年9月に東京都に水素タクシー(FCEV)が導入されることになった。恐ろしい程に目の前に失敗事例が有るのに未来予測を誤る日本人のメンタリティーは理解不能である。
水素車の効率の悪さは最初から分かっていたのに、11年後の今も問題は殆ど解決されていないのだ。エネルギーの大半をロスし、製造や輸送で余計にCO2を排出する水素を、なぜ「未来の主役」と思い込めるのか。これは科学の問題ではなく、心の問題──つまり「誤ったメンタリティー=84年前の日本軍」だ。
日本は「水素は夢」と唱えるほど安心する国になってしまった。夢に逃げるのは人間の自然な性だが、それを産業戦略にしてしまうのは国家的なギャンブルである。しかも負けが濃厚なギャンブルだ。海外では「水素はトラックや一部の産業に限定的」と整理されつつあるのに、日本だけは「乗用車でも大丈夫」と言い張る。もはや技術開発ではなく、信仰に近い。技術者が祈祷師に化ける時代は、滑稽を通り越して恐ろしい。
なぜそこまで水素に執着するのか。その裏には「エンジン車を守る!変化したくない」という国民性が透けて見える。エンジン車を作り続けたいメーカー、補助金で延命を望む政治家、そして「まあ、何とかなるさ」と慣れきった私たち。慣れは楽だ。だが、慣れは盲目を育てる。だからこそ、目の前で地球が「沸騰化」という新しい段階に入っても、私たちは顔を背けるのだ。
現実を見てみよう。ここ数年、千年に一度級の洪水や熱波が、まるで毎週の定期イベントのように世界各地を襲っている。日本も例外ではない。豪雨で都市が冠水し、41.8℃なんて酷暑で人が倒れ、インフラは限界を超えて老朽化する。災害が「非日常」ではなく「日常」になりつつある。にもかかわらず、私たちは平然と「水素タクシーの未来」を語り、メディアはその幻想を宣伝する。火事の家で壁紙の色を相談するようなものだ。
ここに最大の矛盾がある。水素車の推進は「環境のため」と語られるが、実際には環境負荷が大きく、効率も悪い。しかも災害多発の現実に向き合わず、夢物語を延命することが「環境政策」として正当化される。これは欺瞞ではなく、自己催眠だ。私たちは「正しいことをしている」と信じるために、未来を誤魔化す。だが地球の気温は、我々の自己満足を待ってはくれない。
自虐的に言えば、日本人は「悪慣れの名人」である。無駄や矛盾が積み重なっても「まあ仕方ない」と許容する。水素車が大赤字でも「技術の誇り」と言い張る。地球が沸騰しても「四季が二季の変化」と笑う。だが、この悪慣れはもう限界だ。許容は強さではなく、鈍感さの証明になりつつある。鈍感な社会が向かう先は、ただの崩壊だ。
未来を選ぶのは、神でも企業会長でもなく、私たち自身だ。本当に子や孫に残すべきは「水素幻想」ではなく、現実を直視し苦を受けれ環境変化に合わせて自らも変化する勇気だろう。幻想に逃げるのは楽しい。しかし、逃げ続ければ次に襲ってくる豪雨や熱波で、逃げ場そのものが消える。
地球沸騰化は加速度を付けて進む。だからこそ私たちも、意味の無い夢より現実に向き合う時なのだ。