« 勝ち組でも激痛覚悟のアップデート、負け組日本はステイ | メイン | A Return to 1970s Economic Levels? »

幸せとは・・砂浜の砂で出来た家の様なモノですね!

貴方は私たちの社会がどこかおかしくなっている――そう感じることはありませんか?

最近の政治の動きを見ていると、誠実な人が報われず、真実がかき消され、思いやりが軽んじられてしまう場面が増えているように思えます。兵庫県知事選の結果を見ても、民主主義の根幹が揺らいでいることを実感せずにはいられません。なぜ、私たちの社会はこのような方向へ進んでしまったのでしょうか。

その背景には、私たちが「教養」や「抑制」という大切なものを少しずつ失ってきたことがあるのではないでしょうか。ここでいう「教養」とは、単なる知識の詰め込みではなく、物事を深く考え、異なる意見を受け入れながら自分なりの価値観を育む力のことです。歴史を振り返ると、中世ヨーロッパの大学では、教養とは神の摂理を理解するための手段とされ、また都市の発展とともに「どのように生きるべきか」を考える力としても重視されてきました。時代が変わっても、教養とは「自分なりの判断基準を持つこと」「論理だけでなく、情緒や言葉を大切にすること」など、人としての成長に不可欠な要素であることは変わりません。

しかし、現代社会では、この教養が育まれにくくなっています。それだけでなく、「抑制」の力も弱まりつつあります。かつては、社会の中で自然と育まれていた「他者を思いやる気持ち」や「感情をコントロールする力」が、今では軽視されがちです。例えば、SNSでは気軽に他人を攻撃し、一時的な爽快感を優先する風潮が広がっています。また、子どもたちの「辛抱する力」も低下していると指摘されています。10年前の研究では、小学校6年生の辛抱力が、かつての2年生と同程度まで落ち込んでいることが分かりました。昔は、地域の共同体や学校の教育を通じて、自然と忍耐や抑制の力が身についていましたが、今ではその仕組みが弱まっています。

さらに、社会全体が行き過ぎた商業主義、拝金主義の「顧客至上主義」に傾きすぎたことで、長期的な視点を持つことが難しくなっています。テレビやインターネットでは視聴率や注目を集めることが優先され、教育現場でも保護者の意見が過度に重視されることで、教師たちが本当に必要な指導をするのが難しくなっています。その結果、人々は目先の利益や快感に流されやすくなり、長期的な視野を持つことが難しくなっています。

SNSの普及によって、多くの人が「多数派の意見に従う」ことに安心感を覚えやすくなりました。そのため、自分の考えを持つよりも、流行に乗ることを優先しがちです。言葉の力が過剰に強調される一方で、本来持っていたはずの「言葉の重み」や「言葉を慎重に選ぶ姿勢」が失われつつあります。その結果、深い考えなしに感情的な言葉が飛び交い、人間関係や社会全体に悪影響を及ぼしているのです。

政治の世界もまた、大きく変わりつつあります。本来、政治は社会をより良くするためのものですが、最近では「破壊」に重点が置かれすぎているように感じます。政治家の発言が過激になり、改革の名のもとに「壊す」ことが目的化されてしまっているのです。問題は、それが一時的なカタルシス(過去に感じた恐怖や罪悪感など、心に閉じ込められている感情を解放し、精神状態を浄化すること)を生むかもしれませんが、長期的には社会の基盤を揺るがす結果になりかねないことです。

また、「身体性」と「教養教育」についても考える必要があります。人間は、体を動かし、五感を使うことで学びを深める生き物です。しかし、現代では子どもたちが自由に遊び、体を動かす時間が減少しているため、本来の学びの機会が失われています。その影響で、創造的な思考力が育まれにくくなり、感情のコントロールや社会性を学ぶ機会も減っています。

私たちの社会は、いつの間にか「創造」よりも「破壊」を選びやすい方向に進んでしまいました。長い時間をかけて築いてきたものを守り、より良い未来を創るには、「抑制」「共同体」「身体性」「長期的視点」「教養」を取り戻すことが必要です。

私たち一人ひとりが、ただ流されるのではなく、深く考え、周囲と協力し、未来を見据えた行動をとること。それが、より良い社会を築くための第一歩になるのではないでしょうか。