社会の老化現象が進み・・・社会の痴呆症が深刻
利口バカの丸投げが・・・同じく腐った魂を呼び寄せ・・・その腐臭が連続的に漏れている。
越後谷と悪代官・・・その悪の終末ドラマが目の前で繰り広げられる!!!
日本人は変化が大嫌いな民族である。それは安定と云う名の衰退を選び続けて居る事に殆どの日本人は気付きもしない。例えば東大生は・・東大以上を望む事は殆どしない。東大なんて世界の落ちこぼれ大学なのにである。
高卒までに自分は何をしたいのか?何を追い求めたいのか?さえ解らず殆どの日本人が大学に進む・・全く意味なし。
"無難さ"が大手を振って歩く社会環境の中で学んでいたのでは、知識は身に付いても、新たな発想力や突破力、リーダーとしての資質を身に付けることは難しい。
新入社員でありながら中高年と同じ発想となってしまい、とても新しいものを生み出すことなどできない。それこそ、「社会の老化」を加速
社会の激変への対応力であるタフさこそ、人口減少社会において最も必要とされる能力だ。固定観念にとらわれぬ発想力、価値観の異なる人々の理解を得るための説得力、時代が変化し前提がどんどん変わっても臨機応変、忍耐力や柔軟さを欠いたのでは、「社会の老化」となる。
こうした「しなやかさ」と言うべき能力IQではなくEQ・HQ、実生活の中の人間関係を積み重ねることによって身に付く。
優秀な者だけへの英才教育には批判もある、しかし戦後の日本では一貫して「結果の平等」が重んじられてきただけに、「不公平だ」という声も予想される。こうした批判を回避するには、等しく誰にもチャンスが与えられるようにすることである。
如何なる生物も能力に差は確実に有る、優秀な個体をさらに優秀にする為に10の教育工数がかかるとすると・・・優秀で無い個体を同様に優秀にする為には・・1000以上の教育工数がかかる、場合によっては優秀で無い個体は途中で壊れてしまう可能性もあり得る。
全ての個体に同様の教育レベルを求めるのは不毛である。否、教育投資効率は最悪の手法でも有る。
「社会の老化」がもたらす停滞やチャレンジマインドの冷え込みを考えれば、これからの時代は「結果の平等」ではなく、誰もが努力すれば機会を得られる「チャンスの平等」を尊重する社会に変えていくことが不可欠!
山高ければ裾ひろし・・・である。・・・時代に合致する新たなる新芽を育てる事が重要。
日本は国民の殆どが無知文盲だった時代の明治以降の義務教育が今の今まで日本を社会の老化へと導いている。早急に日本の義務教育を解体すべきである。
優秀な子をそだている数少ない親はすでに義務教育などは、すでに離脱をしている現実をキチンと見るべきである。
オールドエコノミーからニューエコノミーにアップデートする為にはオールドエデュケーションをニューエデュケーションにディスラプションしなければならない。
既存のテストの点数が高いだけでは何の価値も無い時代に来ている。
自然界に”平等”などと云う現実も価値観も皆無である。今の日本社会は”空論の平等”と云うとてつもない”不平等が蔓延”をしている。
原理原則・・・をないがしろにすれば・・・それは確実に衰退をする。
貴方はキチンと原理原則が理解出来て居て、原理原則を大切に日々行動をして居ますか???
日本人の9割以上はこんな簡単な事さえ理解できずに行動も出来て居ません。梅雨が明け外は灼熱地獄の快晴ですが・・・日本はどうもそのような晴れは来ないかもね?
雨降れば、傘を開きて、歩き行く、・・・土砂降り続く、開く傘なし