ダウンサイジング(Downsizing)
ダウンサイジングとは、広義にはサイズ(規模)を小さくすること全般を指しており、特に、なんらかの不都合を減らしたり、何らかの利益を大きくするために、サイズを小さくする、ということである。
弊社みたいに最初からミニマムサイズの会社でも・・・もっともっとダウンサイジング(Downsizing)を求めて、やらなくて良い事を徹底的に考えて居ます。何時も、何時も、社員にやらないで良いコとを探し出し、やめなければならない・・・と・・・申しあげています。
例えば・・・100万円を数えるとき、間違いが無いように2度数えると云うのが今までの金融界の常識でした。そして金融マンはそう教育されてきました。
しかし・・・
一度数えるだけで100%間違わなければ・・・一度で良いのでは???と思うのが私です。
さらに数えることそのものをやらなくて100万円キッチリ在る事を確認する方法は無いのとか考えるのが私です。例えば重さで有ったり、厚さであったり・・・即座に解る方法は無いのかと私は考えてしまうのです。
建築の都市計画でも最近言われ初めて居るのが・・・コンパクトシティー、行政効率を最大限に上げ、便利で住みやすい町創り・・・コンパクトシティー
住宅も・・・快適性、満足性を下げずにどれだけ最小限の面積にするかを考え抜く・・・無駄なスペースの極力排除・・・この設計、私、けっこう好きで得意なんです(笑)当然、充填率が高いわけですからコストパフォーマンスも最高になります。
移動手段に付いても・・・最近、ミニマムムーブを真剣に考えて居ます。究極のミニマムムーブは・・・行かない事、動かない事、例えば私の通勤時間は徒歩3分です。車でも3分です。徒歩も車も変わらないのです。この事が私の人生にもたらす時間の有効利用は計り知れないモノが有ります。とにかく考える時間、学ぶ時間、読書の時間が確保出来ると言う事です。これは究極のエコでも有ります(笑)
真のダウンサイジングとは・・・車の排気量を小さくしてターボチャージャーを付ける事では無いのです。つまり車を極力使わない事が真のダウンサイジングと云う事です。車という一つのカテゴリーの中で、どう小さく、とう効率を上げるかという事よりも、もっと、もっと、カテゴリー横断的な総合的な効率化、ダウンサイジングが重要となります。
モノと人間の関係に付いても同様の事が言えます。
例えば洋服
私などは・・・なぜ家庭用小型全自動ドライクリーニングマシンを家電メーカーは発売しないのか不思議でなりません。たとえばクローゼットが上記マシンで有れば・・・掛けておくだけで綺麗になる、背広からシャツ、下着まで全部に至り究極の2着でOKと云う事になります。自己主張たるファッションはワンポイントのアクセサリーでOK
例えば働く場所
在宅勤務で全くOKと思うのですが・・・もちろん、大事な事はフェイスツーフェイスに異論は有りません。
等々・・・ダウンサイジングは山ほど有ります。そして・・・効率化できて浮いた時間を・・・思考・・・に使う
時の質を高めるクリエイティブな生き方をする。
例えばオリンピック
なぜ?世界持ち回りでやるの???アテネでもどこでも同じ場所、一箇所でやれば良いのでは・・・殆どの人99.99%がオリンピックを映像で見て居るのですから・・・毎年同じ施設ならどれだけ節約出来るか?どれだけ選手の競技が平等に出来るか?素晴らしいと思うのですが・・・
どうもオリンピックとは選手や観客の為では無く土木工事屋の為に存在する事になったようです。そしてその土木屋から政治献金をもらう目的???なんて・・・勘ぐってしまいます。
どのお祭りでも・・・やるは楽し、しかし、後片付けは誰も来ない的な・・・不思議な虚無感を感じます。
私は思うのです。そもそも・・・
生きる為の糧を稼ぎ出す労働が年間2,000時間(日本人はどうも2600〜以上)も必要ないと思うのです。
真のダウンサイジングが出来、効率化が出来たら・・・人間の労働時間は・・・年間1,000時間程度で全くOKと思うのですが・・・
勤勉で際限なく働かないと生きて行けないなんて・・・世の常識に洗脳された生き方なんて・・・私が考えるとどうにも変です。
人は・・・そんなに多くのモノを本来必要としない生き物なんです。衣食住足りて礼節を知る。
まさに足を知る・・・この価値感で生きていけば・・・今の日本の様に1,000年かかっても返せるかどうか解らないような大借金は必要ないと思うのですが・・・
バランス感覚・・・物事中庸をもって旨とすべし・・・まさに・・・まさに・・・
わたしなぞは・・・莫大な金をかけたオリンピックやサッカーのワールドカップを見て居るより、自らが額に汗してスポーツして居る時間が100倍楽しいけどね・・・そして、俳句や短歌をひらめく瞬間がとても歓びに満ち満ちた時間ですけどね・・・
良いモノをほんの少しだけ、大事に、大事に・・・長く使う・・・この価値感が少し前までは普通で有ったのですが・・・今は山ほど大量に持ちきれないほど使いもしないモノを持たないとなんだか不安、なんだか低劣、なんだか・・・劣等感を感じてしまう世の中
人間は確かに自分の存在を主張する事が出来て、それが肯定されると快感を感じる生き物です。しかし、経済という物欲のみでの存在感の主張欲求は・・・働きすぎて自分自身の心と健康が壊れるか?もしくは地球が壊れちゃうと思うけどね・・・
今の世の常識とやら・・・どう考えても・・・不合理
どう考えても・・・原理原則に合わない
ダウンサイジング・・・不動心