”強い”と”きつい”
本日は風が”強かった”ですね・・・
本日は風が”きつかった”ですね・・・
意味はほぼ同じです。人間以外に両言葉が使われた場合には意味に大きな差は無いと推定されます。
しかし・・・生き物で有る人間に当てはめたとき・・・その意味は大きく違う場合もありますし、真逆の意味になる場合も有ります。
なんのこっちゃ???と思われる方もお見えだと思います。
多くの女性の結婚相手に要望する条件 ”優しい人”
人は優しくなる為には・・・己の心が強くないと優しくなれません。他人様の心の悲しみや怒り等のマイナスマインドを無償の愛で引き受ける、分かち合う・・・事が出来ないと人は真に”優しい”とはなりません。
分かち合うためには他人様の負の感情を引き受けても自分の心が乱れぬ心の強さが必要になります。つまり、心に何時も何時も他人の負の感情を引き受けても自分自身は乱れぬ行動が可能な余裕が無ければなりません。
この真の優しさの為には強い心、・・・・・強い心は自分自身が多くの試練を乗り越え悲しみに打ち勝った結果にしか身につくモノでは無いのです。
この試練から逃げ出した場合、多くの場合に心が壊れたり、猜疑心に何時も何時も支配された、優しさとは対極に有る意地悪い人、場合に依っては利己的な人、そして究極は重大犯罪者になるような弱い心を持った人間になる場合も有ります。一度逃げ出すと何時も何時も逃げ続けなければなりません、人間とは簡単な道を選択する生き物の様です。”逃げる”のが一番簡単、”考えない”のが一番簡単!!!
多くの人は真の”優しさ”と他人当たりの”ソフトさ””弱さ”と勘違いしているケースを多々見受けます。
弱い人は自分自身の事を考えるのに精一杯のケースを多々見受けます。この弱い人は、自分自身に自信が有りませんのでとても警戒感、猜疑心が強い傾向にも有ります。もちろん、警戒感や猜疑心を否定するモノでは有りません、この猜疑心、警戒感は相互信頼の努力や相手の行動の結果を見ることで・・・
信じられる人、
信じられない人に・・・
普通はある程度真心を込めてお付き合いを数ヶ月から数年すれば遅くとも普通の人には判別出来ます。相互理解が深まれば相手の事が理解出来るようになります。信頼できる相手を守る為に優しくなる、=強い心を育てなければなりません。
つまり、試練はいきなり望みもしないけど襲い来る場合も有れば、今の自らの能力以上の高い目標を定めて自らに試練を与え強い心に鍛え上げる場合も有ります。高すぎても心が壊れるリスクが有るし、ある程度の高さでなければ・・・怠け心が・・・むくむくと沸き上がる場合も有ります。
ただ・・・ただ・・・”きつい”・・・は、何も生まれませんし・・・ただただ”時”を曇らせるだけの様に思います。
これらは”人”それぞれに持つ”本性”(ほんしょう)ですから・・・例え20年間仲良し夫婦に見えても、本当に心と、心が通い合う一心同体の夫婦で無ければ(例えば事なかれ主義の演じる夫婦)・・・はるかなる許容度を超えた試練が訪れた場合・・・
例えば強盗が刃物を持って家に押し込んできた場合等・・・には、この本性が出てしまいます。何も考える余裕など有りませんから・・・奥様を平気で無視して逃げる男も現れます。もちろん、逆の場合も有ります。
私は・・・こんな悲惨な現場を目撃した経験が有ります。
自分自身の事で何時も、何時も精一杯で他者に思いをはせない人は・・・このような本性が出てしまう、そんな気がします。
誰だって素晴らしき人間と云う生き物のハズなのに・・・”五欲”が強ければ強いほど自分自身を自分自身だけで何時も何時も精一杯にしてしまうのですね・・・
今は市場経済の名のもと”欲”をあおり立てる世の中ですからね・・・むごくて悲しい世の中の様です。特に成長過程に有る若者には誠に辛くて気の毒な世の中です。
こんな世の中の中でも本当に・・・多くの想像を絶する試練を小さな、小さなか弱い心で生後6ヶ月から27才迄必死に乗り越え続けてきた、他者を何時も何時も心にかけ五欲を乗り越え自らを犠牲にして真に強い心を持った慈愛溢れる”優しい青年”を私は知って居ます。
その青年の名は・・・
”慈雲孝道居士”
素晴らしき名です。ただ、ただ、頭が下がります。