一期一会・・・不思議なご縁と・・・その成否
本日、11月9日のキッチンセミナー(シークレット)のカリキュラムスライドが4か月をかけて完成の域に達しました。ほっ・・・です。まだまだ10日間ありますから最後の最後までアップデートするつもりです。
26歳の時、私がこの11月9日のセミナーの内容を知って居たとしたら・・・私の人生はとんでもなく素敵なモノになって居たと思います。資産や社会的地位等は今の10〜100倍以上には確実になって居た事でしょう。
私の人生で知らないという事でどれほどの"負"と”損”と”悲しみ”を被ったか!!!計り知れないほどのマイナス人生を血の涙を流しながら克服して、やっと平均点レベル+?程度の今が有ると思います。
ほんとにシンドイ人生でした。ふー・・・普通の精神力の人なら気がふれていても不思議ではないほどの激烈極まりない撃沈墜落の連続の負でした。ふー、現実に私も気がふれかけてもDNA的生命力の強さから何とか、そのどん底には落ちずに済んだとおもっています。・・・時々その時の後遺症でフラッシュバックし苦悩します。まさにPTSDですね・・・ふー
注:PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)とは、強烈な心的外傷体験をきっかけに、実際の体験から時間が経過した後になっても、フラッシュバックや悪夢による侵入的再体験、イベントに関連する刺激の回避、否定的な思考や気分、怒りっぽさや不眠などの症状が持続する状態
若い時は本当にパワフルな若者で有ったと思います。893とガチで喧嘩をしていたのですから・・・夜に1対30人なんて接待絶命も経験しています。逃げまくり何とか無事でしたが・・・とにかく当たって砕けろの連続の様な若い無茶で有り、無駄である事を山ほど経験してきました。ふー
狂犬の様なギラギラした目つきでしたから皆からは嫌われまくりました!!!役に立つけど傍には置きたくない存在、そんな感じの若者でした。まさに土佐藩の刺客、岡田以蔵の様な雰囲気の人物でした。
若いサラリーマン時代もそのパワー全開で、今でも忘れません365日1年で休んだ日は正月の1月1日のタダ1日しか休まずに睡眠時間平均5時間程度で働き続けた経験もあります。まさにワーカーホリックですね・・・
案の上、精神も肉体も両方とも壊れかけましたけどね!!!
こんなバカげた無駄をしなくても・・・残業ゼロでニコニコしながら遥かに高いアウトプットを出す事が可能となる知恵が・・・11月のセミナーのシークレット?な内容です。
一期一会
シークレットセミナー開催は・・・同一の内容!ただの一回限りです。もう2度と開催しません。家創りの為の他のセミナーと違い頼まれてももう2度としません。そして先回の場合は申し込み多数で当初の会場には入りきれないので約3倍の広さの会場に変更出来ましたが・・今回の会場は変更できませんので、場合によっては御参加をお受けできない場合もあり得ます。
まさに一期一会
人がこの世に生を受けて・・・たった1回しか生きられない事と同じ事です。人生とは最初からやり直す事など不可能な事なのです。しかし、たった一日のたった一瞬の気付きが人生を変える事が有るのです。だらだら100歳ウンコ製造機として生きても全く無意味です。
修証義 第5章 第三十節
光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命(しんめい)は露よりも脆(もろ)し、何(いず)れの善巧(ぜんぎょう)方便ありてか過ぎにし一日を復び環(かえ)し得たる、徒(いたず)らに百歳生けらんは恨むべき日月(じつげつ)なり、悲むべき形骸(けいがい)なり、設(たと)い百歳の日月は声色(しょうしき)の奴婢(ぬび)と馳走(ちそう)すとも、其中(そのなか)一日の行持を行取(ぎょうしゅ)せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の佗生(たしょう)をも度取すべきなり、此(この)一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり、此(この)行持あらん身心(しんじん)自らも愛すべし、自らも敬うべし、我等が行持に依りて諸仏の行持見成(ぎょうじげんじょう)し、諸仏の大道通達(だいどうつうだつ)するなり、然(しか)あれば即ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。
上記の意味
時が経つのは射られた矢よりも早い。私たちの命は道端の草に宿った朝露よりも儚い。どんなことをしても、一度過ぎ去った時間をもとに戻すことはできない。だから、ただ空費するように百歳の歳月を生きるのでは虚しいだけで、正しく生きなければ悲しい人生となってしまう。
もし、これまでの多くの時間を無駄に過ごしてきてしまったと思うのなら、これからを改めればいい。人生のなかでたとえ1日でも仏の心をおこし、仏の生き方ができたなら、無駄にしか思えない人生だったとしても、これまで生きてきてよかったと思えるようになる。そしてこれからの人生を方向づける、尊い1日となり百歳の歳月以上の価値を生む。
この1日を生きた自分は、尊ぶべき存在である。ブッダと同じように生きることができた自分の身と心を愛してあげなさい。自分自身を敬ってあげなさい。私たちが仏の道を歩めば、1人の仏がこの世界に姿を現わしたことになる。祖師たちが生きた証しが、自分を通して現代にあらわれるのである。仏の道を歩む1日を過ごせば、仏の種を蒔く1日となる。仏の生き方をすれば、その時、人は仏になっている。
以上
人生は・・・今!!!・・・しか無いのです。まさに真剣勝負!
即今充実!!!